地震発生から夜が開けると
東北大震災を石巻で経験した私が今だから語る。
地震発生から夜が開けると、、
太陽のおかげで、心にもつかの間の日が指す。
しかし、それはら夜の得体の知れない恐怖をただ、遠ざけるだけのこと。
現地ではテレビが見れないところもあるため、現状の実感がないのではなく、混乱している。わけがわからない状態。
そこから、日が指すと、、
全容を照らし出す。
そのせいで、被災者は、
地震で恐怖を一番に感じた後、
混乱し、
今、それにプラスして
絶望感が襲うのだ。
これからどうして行けばいいのか。
何をすればいいのか。
道筋がわからない。先が真っ暗。
恐怖と混乱のなかに遭難するような感じ。
そのなかでも、前に出ようとする人たちがいる。
町内会長とか役場関係、現地警察や消防、先生、もっとみじかでいうと、父親母親とか、
彼らの、顔が鮮明に私にはわかる。
必死 な 顔だ。懸命とかではない。
死をまじかで感じながら皆を守らねば!という、必死な顔だ。
彼らは平気なのではなく、そうしていないと崩れそうなのだ。それをぐっと押し込めてちからにしている。
また、絶望から動けない人の顔は、
動揺や恐怖、悲愴で硬直している。
実は、ここからが、その土地土地の人間性が、試されるところだ。
人間が試される。
支援物資を、
我先にと受け取ろうとする人。
自分なんかはいいと周りに回す人。
行き場がわからず動けない人。
何が起ころうとも、人間性はかわらない。
だからこそ、パニックのときこそ、
周りを見渡して欲しい!!
譲り合う、助け合う、支え合う
皆が被災者だ。自分だけではない。
自分のうちはこうだった。私はこんなケガをした。こうやって逃げてきた。
厳しいことをいうと、そこではない!!
みな同じなのだ。
だからこそ、周りを見渡して、
それを本当に必要としているのは誰か。
その量は、自分たちにとって妥当なのか。
こんな時に、悪い意味でも我慢するのは誰か。それは、
子供だ!!
大人は理解ができる。先を考えられる。
耐えることもできれば嘘もつける。逃げることもできる。
子供は、それができない。コントロールができない。しかし、素直に見たものを受け取る。
その結果、自分も知らずに我慢する。
子供の方が、食べ物や毛布を譲っていたりする。
すると、被災が落ち着く頃には、
子供たちはパンクしてしまう。
パニックなってしまう。
あとからくるのだ。
だからこそ、
周りを、見渡して欲しい
ただそれを越えてくるのが、自衛隊だった。
当たり前と言ったら当たり前なのだが、
彼らはすべてが自立した組織だ。
食べもの飲み物お風呂、全てを自らがこなす。出動の許可さえあれば、自分達で自ら動く。
その、心の余裕さが違う。
頼もしい顔で、
「頼れ!!!!」「手を握れ!!!」
と言わんばかりに、テキパキとこなす。
私が活動していた学校に来た時も、
こちらが手伝うひまもなく
物資を運び、炊き出しをし、
生徒に頼もしい言葉を残す。
生徒だけではない、彼らの隊長的な方が、
先生方に挨拶をし励まされた。
助けることの大変さを、背中をさすって支えるように、
「ほんとうに、ここまでご苦労さまです。私達がいるうちは、誰に声をかけても構わないので、なんでも言ってください。できることは全力で力になります。そして、先生方もお休みを取ってください。」
そして、隊員皆で敬礼をするのだ。
その時に、先生方のほとんどが崩れるように泣いた。男性の先生は隊員の人たちに握手をしてありがとうございますと、声をかけた。
彼らは、何が違うか、
顔に不安や怯えがないのだ。
だから安心できるのだ。
今、鮮明にあの時の記憶が蘇る。。
ここからが、正念場である。